(1)徳川家と音楽コレクション

 南葵とは、徳川御三家のうち紀州徳川家をさす。南葵音楽文庫は、紀州徳川家の第16代当主徳川頼貞(1892〜1954)が、私財を投じて設立した音楽資料のコレクションである。だが徳川家と音楽資料の収集は、頼貞に始まったわけではない。
 紀州徳川家から第8代将軍となった徳川吉宗(1684〜1751)は、音楽に関しては江戸城内の管絃に琴を加えた程度のかかわりしかもたなかった。彼は息子のうち二人を城内に居住させ別家として取り立てた。そのひとつ田安徳川家初代の徳川宗武(吉宗次男、1716〜1771、松平定信の父)は、賀茂真淵らに国学、歌学を学ぶなど、音楽や服飾に関心が深かった。そこから、田安徳川家にはこの分野に多くの典籍、文書が集まるようになった。
 明治時代になっても田安徳川家は多くの資料を所蔵していたが、慶應義塾が図書館の建設と蔵書の拡充を図ると3458冊を寄託した。さらに戦中戦後に何度も一部売却、寄託を繰り返した。しかしながら現在も、コレクションには雅楽、琴楽、能楽関連の資料、中国渡来の琴楽に関する資料群、また賀茂真淵らの助言のもと復古した謡本が含まれ、国が設置した国文学研究資料館(東京・立川市)に所蔵されている。
 紀州徳川家の第10代藩主徳川治宝(はるとみ、1771〜1853、藩主1789〜1824)は、管轄する各地に学問所を設置、本居宣長を召し出し、松坂城下にすまわせた。松坂に由来する三井家との関係を深め、また京都の楽家、表千家を庇護するなどした。
 治宝は、膨大な資金を投じて雅楽の楽器を収集した。157点に上る楽器は、そのほとんどに来歴を記した文書(証書、鑑定書など)が付されている点で貴重である。それぞれの楽器は、蒔絵を施した箱に納められているが、これは治宝自身の監修のもとに整備されたのではないかと考えられている。
 家宝の中でも特に大事な奥重宝として代々伝えられこのコレクションが紀州徳川家を離れたのは1953年である。買い受けたのは後に島根県知事となる田部長右衛門であったが、彼はこれを私有せず、自らが理事長をつとめる松江博物館の所蔵とした。1972年には文化庁の所蔵となり、1983年からは国立歴史民俗博物館(千葉・佐倉市)に収蔵されている。
 田安徳川家から紀州徳川家に迎えられた徳川頼倫(よりみち、1872〜1925)は、1896年にケンブリッジ大学に留学し、英国滞在中は南方熊楠とともに大英博物館を見学するなど、博物館、図書館の重要さに心打たれた。帰国後ただちに古典籍の整備に着手、部分公開を経て1908年に麻布飯倉の自邸敷地内に「南葵文庫」を建てた。日本の古典籍を中心とした収集は、1921年には10万冊に及んだという。しかし、関東大震災(1923年)で建物が甚大な被害をこうむると、頼倫は蔵書を、やはり被害が大きかった東京帝国大学に寄贈し、現在は東京大学総合図書館が継承している。
 蔵書のうち音楽関係の資料は、息子頼貞が「南葵楽堂」を建て、その中に図書部を開設するとそこに移管された。その図書部が、南葵音楽文庫として独自の資料収集と公開などの活動を展開する礎となった。


南葵文庫(麻布飯倉の徳川家旧敷地内、現存せず)

南葵文庫の鍵
[2014年4月23日 17:07]

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