(3)南葵楽堂とその図書部

 徳川頼貞が帰国したのは1915年の年末近くであった。翌年秋になりようやく設計図が届き、17年春には実際の建築で用いられたヴォーリズによる設計図面が完成、ただちに麻布飯倉の敷地内で建築工事が始まった。工事は1年余で終わり、翌18年10月27日朝に開堂式、27、28の両日、開館記念のコンサートが開催された。
 開堂の式典で、祝辞に立った大隈重信は「音楽の偉大なる力はよく神の怒を謹めて、常闇を光明の国に化した日本の神話もある」と述べ、ヴォーリズは「この建築物は単なる記念物として設立されたのでなく、教育音楽をもって精神的な何かを広く公衆に与えることにその目的がある」と語り、日本における西洋音楽普及への期待が高まった。コンサートは頼貞が好んだベートーヴェンで、最初が献堂式序曲、ついでピアノ協奏曲第5番「皇帝」、後半はカンタータ「静かな海と楽しい航海」。「皇帝」の全曲演奏はこの日が日本初、他の2曲も日本初演であった。父頼倫が「南葵文庫」を建ててから10年、同じ敷地に「南葵楽堂」が並びたった。
 依頼していたオルガンが到着したのは、1920年になってからであった。日本初の本格的なパイプオルガンのために、組み立て調音する技術者を呼び寄せ、また在日英国人エドワード・ガントレットの協力があり、同年11月には披露演奏会開催にこぎつけることができた。ちなみにガントレットの妻になった山田恒は山田耕筰の姉である。耕筰は義兄にあたるガントレットから西洋音楽を学んでもいる。
 南葵楽堂ではその後も、三浦環、ゴドフスキーらが演奏、オーケストラの演奏会も開催されている。
 南葵楽堂は、ヴォーリズによる設計図面からその半地下部分を図書館とする計画であったことが明らかである。音楽資料の収集は頼倫が設立した南葵文庫に、大正中期になって音楽部門が設けられたのが発端であり、南葵楽堂建築に向けた地鎮祭が行われた直後の1917年5月に作成された目録では、音楽部門の蔵書は教則本や練習曲、唱歌集が目立つ。同じ5月に、ロンドンでオークションにかけられたカミングズ・コレクションの一部分を購入、また独自の収書活動も行われた。1920年1月、第一次大戦終結に伴い安全性が確保できたとの判断から輸送がはじまり、パイプオルガンに先立って1月にカミングズ・コレクションが到着、集められた楽譜や文献は、1920年10月2日から南葵楽堂において閲覧に供された。公開当初閲覧に供されたのは、カミングズ・コレクションを除き、楽譜1264冊、音楽書473冊であった。我が国における最初の公共音楽図書館の誕生である。
 このとき階上ではオルガンの据え付けがまだ続いていたであろう。コンサート・ホールに設置された本格的なパイプオルガンとしては我が国初となる楽器は、音楽文庫公開から1か月半遅れたが、同年11月22日から24日まで開催された演奏会で披露された。


南葵楽堂外観

南葵楽堂図書部入口に掲出された表札(1924年頃)
[2014年4月23日 17:12]

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