(5)コレクションの形成

 我が国初の公共音楽図書館を構築するために、資料はどのようにして収集されたのであろうか。まずは音楽図書館の構想から開館初期まで、徳川家の音楽資料は南葵文庫の音楽部門という位置づけであった。
 関東大震災により蔵書の大半が灰燼に帰してしまった東京帝国大学図書館の惨状に心を痛めた徳川頼倫は、南葵文庫蔵書の寄贈を決め、南葵文庫は東京帝国大学に移された。その際、楽譜1829冊と音楽書865冊は除外された。この南葵文庫音楽部門に由来する資料には、徳川家にそれまでに寄贈された音楽資料や頼貞自身が用いた楽譜や購入した資料が含まれている点で興味深い。
 この時点で、たしかに南葵文庫音楽部門の楽譜や音楽書は、1920年10月2日に閲覧が始まった時よりも増加していた。とはいえ、まだまだ理想とはほど遠い状態であったであろう。
 なお南葵文庫の帝国大学への寄贈にともない従来の名称は廃され、震災翌年に「南葵楽堂図書部」となり、1925年には「南葵音楽図書館」と改称された。
 資料の増強は、震災により南葵楽堂の建築が相当の損傷を受けた中でも積極的に行われた。その結果、1929年には、整理が終わった閲覧用資料は音楽書•楽譜合計約30000冊、レコード約2500枚にまで達した。
 この他、購入ないし寄贈を受けた個人蔵書として、カミングズ・コレクション(474冊)以外に、二つの重要なコレクションが加わった。
ホルマン•コレクション オランダのチェロ奏者ヨーゼフ・ホルマン(1852〜1926)の楽譜コレクションを指し、約1030点(2000冊)からなる。20世紀初頭のチェロ音楽の宝庫であり、彼に献呈された作品や、彼自身の作品も含む。
フリートレンダー•コレクション ドイツの音楽学者マックス・フリートレンダ一 (1852〜1934)の蔵書の一部。244冊からなる。
 資料の購入には南葵音楽図書館の図書楽譜購入費が充てられたが、それでは賄えなくなると、徳川頼貞の私費も使われたという。南葵音楽図書館は1925年の発足時にすでに経済的には逼迫しており、1931年、図書館は閉鎖を余儀なくされ、資料購入も一旦途絶えることになった。


ヨーゼフ・ホルマン
頼貞の招きで来日、楽器と楽譜を日本に残した

南葵音楽図書館の蔵書印
[2014年4月23日 17:40]

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