(6)南葵音楽文庫の継承

 関東大震災は、南葵文庫、南葵楽堂に重大な被害をもたらした。南葵文庫は東京帝国大学(現東大)へ、楽堂に取り付けられたわが国初の本格的なパイプオルガンは東京音楽学校(現東京芸大)へ寄贈された。オルガンは、現在は台東区が管理する旧奏楽堂に残されている。南葵楽堂に併設された南葵音楽文庫は、引き続き南葵音楽事業部が管理等を行っていたものの、徳川家の財務上の問題も手伝い、活動は縮減せざるを得なかった。昭和8(1933)年、事業部は南葵音楽文庫の管理を三田の慶應義塾図書館に委託、同館の規則により閲覧に供するとすると決定した。同年3月、同文庫の25000冊(慶應側の記録による)は移管され、図書館新書庫の屋根裏全体を占めたという。戦前、戦中にあって、西洋音楽に関する資料の宝庫として貴重な存在であり続けたが、東京大空襲の翌月にあたる昭和20(1945)年4月、徳川頼貞は委託契約の解除を決断。再度の空襲にもかろうじて罹災を免れた文庫は、同年6月図書館から急遽搬出され、千葉県下の呉服店倉庫に収められた。
 戦後しばらく文庫の行方がわからなくなった時期があったが、1960年代半ばにその根幹部分が無事であり、白河市(福島県)の倉庫にあることが確認された。昭和42(1967)年3月、読売新聞社主催「南葵音楽文庫特別公開」展が開催され、関連資料も含め約500点が展示された。また文庫そのものの活用も検討され、一時期ではあったが、東京・駒場の日本近代文学館において音楽研究者たちを主な対象に閲覧に供され、新たな資料の購入も行われたほか、貴重資料のマイクロフィルムが作成された。
 1977年以後、南葵音楽文庫は読響に帰属、1999年までマイクロフィルムによる閲覧は国立音楽大学図書館で継続された。2006年から08年にかけ、慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究機構は、読響との契約のもと貴重手稿資料の高精細デジタル画像収録に着手した。また同機構はマイクロフィルムの画像のデジタル化も実施し、貴重な印刷資料の一部はすでに同大学のウェブサイトで一般公開されている。現在、読響は貴重手稿資料の高精細デジタル化を継続して実施している。


慶應義塾図書館(1912年撮影)
南葵音楽文庫はここで1933-45年に公開されていた

デジタル化 画像確認画面の例
[2014年4月23日 17:41]

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