ゲルト・アルブレヒト インタビュー

2005年10月ツェムリンスキー「夢見るゲルゲ」公演について

ゲルト・アルブレヒトインタビュー写真
奥田:
 マエストロはこれまで読響と「テレージエンシュタットの作曲家達」やグルリットの「ヴォツェック」など、読響と新しい企画の数々を実現してきましたが、このツェムリンスキーの「夢見るゲルゲ」の公演はその延長上にあるものなのか、あるいは読響とのコラボレーションの新しい面を切り開くものなのでしょうか。
アルブレヒト:
 同じ延長線上にあります。
奥田:
 いつ、どんな形でツェムリンスキーの音楽と出逢ったのですか?
アルブレヒト:
ツェムリンスキーはオペラの作曲家としては完全に忘れられた存在でした。文献も少なかったです。室内楽の作曲家としては、ジュリアード四重奏団などが70年代に積極的に取り上げるようになって、ようやく少しずつ知られるようになって来ていましたが…。私は1981年にハンブルクで「小人(王女の誕生日)」と「フィレンツェの悲劇」の2作品を上演しましたが、これがツェムリンスキーのオペラ作品のルネサンスの幕開けとなりました。これが評判を呼び、同じプロダクションがオランダの音楽祭、ウィーンのフェストヴォッヘン(祝祭週間、芸術祭と訳される)、エジンバラ音楽祭またロンドンに招かれて上演されることになり、それから頻繁に取り上げられるようになりました。今挙げた2作品の上演がきっかけとなり、私自身もツェムリンスキーのオペラにより関心を寄せるようになりました。とりわけ関心を持ったのが「夢見るゲルゲ」です。この作品は、ツェムリンスキーの存命中には一度も演奏されることがありませんでした。もともとはウィーンの宮廷歌劇場の委嘱作品としてマーラーが作曲を依頼したのです。ツェムリンスキーにとって見れば、それまでの人生で最大の仕事であり、1907年に上演予定でしたが、運悪く、その年マーラーがウィーンを去ることになり、マーラーの後継者ワインガルトナーは、この企画をつぶしました。私自身は1983/84年のシーズンにフランクフルトでこのオペラを取り上げ、録音もしました。

 奥田注: 1900年、ツェムリンスキーのオペラ第2作である「昔あるとき(昔むかし)が、マーラーの指揮により、ウィーン宮廷歌劇場(現在の国立歌劇場)で初演されている。 ツェムリンスキーの初期のオペラには、「ザレマ」「昔あるとき」「夢見るゲルゲ」、1910年にウィーンのフォルクスオーパーで初演された「馬子にも衣装」がある。「夢見るゲルゲ」と前後してバレエ・パントマイム「時の勝利」(原作ホーフマンスタール)があったが、これはマーラーによって上演が許可されなかった。 マーラーの推薦により、1907年よりウィーン宮廷歌劇場の楽長(カペルマイスター)の一人となったツェムリンスキーは1911年、プラハの新ドイツ劇場の音楽監督に就任し、1924年にはシェーンベルクのモノオペラ「期待」を初演。またマーラーの作品を手がけている。
アルブレヒトの言葉に戻ろう。  (ツェムリンスキーのオペラと出逢った後)クリーヴランドで「抒情交響曲」を演奏しましたが、その折に、ニューヨークに住んでいたツェムリンスキーの未亡人ルイーズさんを訪ねました。 ルイーズさんと一日中話しましたが、そのとき聞いた話では、生前ツェムリンスキーが特に悔やみ悲しんでいたのは、「夢見るゲルゲ」が上演できなかったこと、その音楽を実際に耳で聴くことができなかったことだったといいます。その後ルイーズさんとベルリンで再会し、「抒情交響曲」がソプラノとバリトンのソリストを持つように、この「夢見るゲルゲ」を編曲してソプラノとテノールをソリストとした新しい作品を編曲するという構想を伝ました。彼女は一度了承したものの、結局、主人ツェムリンスキーはそれを望まなかっただろうという理由で、この企画は流れてしまいました。しかしルイーズさんの死後、私の判断で、この企画を実現させました。そしてプラハ、ウィーン、ハンブルクでこの「抒情交響曲」風の「夢見るゲルゲ」編曲版を演奏したこともあります。

奥田注:  アルブレヒトは自他ともに認めるツェムリンスキー演奏の使徒である。ことに 1996年秋に、ハンブルク州立歌劇場で上演したオペラ「カンダウレス王」の補筆初演は、アルブレヒトのハンブルク時代(音楽総監督、在任88~97年)を締めくくるに相 応しいプロダクションとして名高い。

奥田:
 最近ツェムリンスキーは音楽ファンに次第に知られるようになって来ました。世紀転換期ウィーンを彩る、マーラー、シェーンベルクなどの新ウィーン楽派、シュレーカーなどの作曲家、分離派の絵画、建築界の新しい動き、ハプスブルク帝国の崩壊、こういった広い文化史の中で、作曲家ツェムリンスキーとはどのような位置にあるのでしょうか。
アルブレヒト:
シェーンベルク、すなわち新ウィーン楽派とまったく違った道を歩んだのがツェムリンスキーです。それゆえツェムリンスキーはシェーンベルクに対して非常に強い対抗心、呪いのようなものを抱いていました。ツェムリンスキーの最後の大きいなオペラ「カンダウレス王」の冒頭部分に、変ホ短調(es-moll)とイ短調(a-moll)の和音が出てきます。ツェムリンスキーの楽譜を校訂したアントニー・ビューモント氏が私に教えてくれたところによれば、この2つの和音はそれぞれシェーンベルク(Schoenberg esをSと解釈)とアントン(Antonウェーベルン)を表しているということです。  ツェムリンスキーにとって、自分を助けてくれた人であると同時に自分を苦しめた人であるシェーンベルクには愛憎半ばする気持ちを抱いていました。それがこの2つの和音に表されているということです。
シュレーカーやヴェレス、コルンゴルトといった作曲家と同様に、ツェムリンスキーも新ウィーン楽派から離れていきました。しかし私自身にとって、ツェムリンスキーは今挙げた人々の中で最も強さと純粋さを持っている作曲家です。 1958年版のグローブ音楽辞典で「アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー」の項目を見てみると「オーストリアの指揮者兼作曲家」として1、2行の記述しかありません。しかし8年ほど前に同音楽辞典の改訂版が出ましたが、その中ではまず「オーストリアの作曲家」とあり、記述も20ページほどに増えています。ここにツェムリンスキーの文化史における位置づけの「成長」がみられます。 ツェムリンスキーにとって悲劇だったのは、かれがユダヤ人であったゆえにナチによる迫害を受け、作品が上演禁止になってしまったこと、そして戦後になっても、シェーンベルクとその信奉者のアドルノが立ちはだかり、徹底して評価の場から排除されてしまったことです。アドルノからしてみれば、ツェムリンスキーは12音技法を追及せず調性の世界に安住した、シェーンベルクを裏切った作曲家なのです。そして、マーラー、シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンなどの作曲家が戦後次々と復権を果たした中、ツェムリンスキーは忘れ去られたままでした。
幸い、最近になってまた注目を集め、評価されるようになってきましたが。
奥田:
 ツェムリンスキーのオペラがこうして知られるようになったこと、新グローブ音楽辞典の記述が増えたことはとても喜ばしいことですね。しかし辞典には、アルブレヒトによってオペラのいくつかが蘇った、とは載っていません。
アルブレヒト:
人生とはそういうものです。
奥田:
 私は学生時代、1984年にウィーンで交響詩「人魚姫」が音楽学者でもあるペーター・ギュルケの指揮でおよそ80年ぶりに演奏されるのを聴きましたが、この作品は今や人気曲になっています。また「フィレンツェの悲劇」や抒情交響曲などを聴く機会も出てきましたが、一連のツェムリンスキーの人気作の中で、「夢見るゲルゲ」はマエストロにとって、どんな位置を占めるものですか。
アルブレヒト:
わたしにとって「夢見るゲルゲ」は、旋律、和声の両面から見て、最も豊かな作品です。「カンダウレス王」が上演されたとき、批評家はツェムリンスキーの新たな面を見ることができたと書きました。たしかにこの作品は、ツェムリンスキーの特別な面を見せています。「夢見るゲルゲ」はツェムリンスキーにとって最初期の大きなオペラであり、一方で「カンダウレス王」は未完ではありますが、最後のそれです。 私にとっては、この2作品をしてツェムリンスキーの全創作の中心を成しています。未亡人のルイーズが言っていたように、ツェムリンスキーは生前よく「夢見るゲルゲ」をピアノで弾きながら(彼は優秀なピアニストでもありました)、上演されなかったことを悲劇だと思っていたのです。

奥田注: ツェムリンスキーのオペラを作曲順に並べると、次のようになる。 「ザレマ」「昔あるとき(昔むかし)」「夢見るゲルゲ」「馬子にも衣装」「フィレンツェの悲劇」「小人(王女の誕生日)」「カンダウレス王」。

奥田:
 「夢見るゲルゲ」をマエストロが80年代の前半にフランクフルトで初演したとき、楽譜はきちんと整備されていたのでしょうか。
アルブレヒト:
リコルディ社の総譜はありましたが、状態の悪い汚い譜面でした。今回の上演でもそれを使います。
奥田:
 「夢見るゲルゲ」の主人公ゲルゲは、はじめは理想主義的で空想の世界に生きる弱々しい男で、それが厳しく荒々しい生活と、ひとりの真に愛する女性との出会いを通じて、現実の世界に生きるたくましい男に変わって行きますが、このような物語、あるいはゲルゲの人生が表現しているのは何でしょうか?  
アルブレヒト:
それは難しい質問です。「夢見るゲルゲ」の台本は、首尾一貫性の点で弱さがあります。「フィレンツェの悲劇」がオスカー・ワイルドの原作、「白墨の輪」がブレヒト、「カンダウレス王」がヘッベルからサルトルまで包含する世界であるのに比べれば、「夢見るゲルゲ」の台本の弱さは明らかです。 ただ時代背景を考えますと、これは、フロイトの心理分析が有名になった時代ですが、ウィーンに始まったフロイトの思想が世界を征服しつつあった時代です。ほかにもリルケ、シュテファン・ゲオルゲ、ホーフマンスタールなどの同時代のウィーンの文学者、詩人は夢の世界、幻想の世界を生きた人たちで、そのような作品を多く発表しました。 まさに「夢見るゲルゲ」は、その当時主流だったそのような世界の産物だと捉えて良いと思います。あるいは、もっと極端に言えば、フロイトの心理分析の産物だともいえます。フロイト、ユングにとって「夢」というものが持つ意味が非常に重要だったことを考えますと、まさに時代の申し子的作品なのです。
奥田:
たとえば、最近ポピュラーな人気も出てきたコルンゴルトの「死の都」はどうでしょう。主人公のマリエッタはどこまでが幻想でどこからが違うのか分からない世界にいますが、このような幻想あるいは、夢というものが、時代の、あるいは作品のひとつのイデーとして存在するのでしょうか。
アルブレヒト:
大胆に言うならば、コルンゴルトの「死の都」はせいぜい良くできたオペレッタです。ツェムリンスキーのほうがずっと優れたオペラ作曲家です。 ここでお話したいのは、原作・台本の果たす決定的に重要な役割です。20世紀のオペラ作曲家で大成功を収めたのは誰か見てみればすぐに分かります。たとえばR.シュトラウスは動物的本能ともいえる目で、的確な台本を見出しました。「エレクトラ」「サロメ」「ばらの騎士」「影のない女」しかりです。同じことがストラヴィンスキーにも当てはまります。   彼らのように、正しい台本を見出す者と、なかなか出会えない者とがありました。ツェムリンスキーは後者であり、本来ならオペラ史に大きな名を残したであろうヤナーチェクもそうです。ヤナーチェクがもしR.シュトラウスのように正しい台本を見つける幸運も持っていたならば、20世紀を代表するオペラ作曲家になっていたはずです。   去年読響と上演したヤナーチェクのオペラ「運命」もそうで、音楽的には素晴らしいが、台本が足を引っ張っています。同じことが「夢見るゲルゲ」にも当てはまります。よくよく台本を読むと、ゲルトルートは何者か、女王の登場にはどういう意味があるのか、と次々疑問がわいてきます。どこまで夢でどこまで現実か、それが判断できない原因は台本の弱さにもあるわけです。 
奥田:
  「ヤナーチェクは20世紀最大のオペラ作曲家であると」と明言しておられますが、台本には恵まれないが音楽に強さのあるツェムリンスキーのオペラを演奏するのは、ヤナーチェクを演奏するのと同じ使命感からですね。
アルブレヒト:
 私にとって大切なのは誠実さ、真実のもの正直なものであるということです。シュレーカーやコルンゴルトを侮辱するつもりはありませんが、彼らの作品には時々、ルーティン、表面的と感じるときがあります。それがヤナーチェク、ツェムリンスキーの作品にはありません。 ヤナーチェクやツェムリンスキーの作品を聴き、演奏すると、それが真実のものであることが伝わってきます。皆さんも演奏会に出かけて、すごく上手ではあるが、それだけと感じることがあると思います。 本当に心を打つ演奏では、演奏者に何か信じるものがあり、その信じるもののために演奏しているという気概のようなものが伝わります。同じことがヤナーチェクとツェムリンスキーにも当てはまります。これが真実、本物であると感じられるのです。   しかし実際には、思っている以上に、こういった作品を演奏するのは大変なことです。「椿姫」でも「魔笛」でも「アイーダ」でも「ラ・ボエーム」でも大変なことは大変ですが、それ以上に、こういった珍しい曲を演奏するときは大変です。しかもたった一回だけの公演のために大変な労力を注ぐのですから、歌手を説得するのも容易ではありません。
ぜひ申し上げたいのは、私たち演奏家にも、演奏を企画する側にも、こうした作品を演奏する義務があると思うことです。ベートーベン、ブラームス、モーツァルト、ハイドンも大切ですが、同じように猿谷氏、ピンチャー、ルジツカ、ラッヘンマンの作品、グルリットの忘れられた作品、ヤナーチェクの「運命」だとか、今回の「夢見るゲルゲ」というような作品を演奏しなくてはならないのです。そういった部分を含め私たちは評価されます。こうした作品を曲目に含めること、これが演奏家の義務であることを自覚しなくてはなりません。
奥田:
 今回の公演のソリストについて、あるいはオーケストラにどのような点に聞き所がありますか?
アルブレヒト:
面白い話をしましょう。
 エーリッヒ・ウォルフガング・コルンゴルトの父親ユリウスは有名な音楽評論家でしたが、彼は息子が8歳のときシェーンベルクのもとに連れて行きました。コルンゴルトが9歳のとき、シェーンベルクはこの子に教えることはもうなにもない。
もしこれ以上、とくに楽器法について教わりたければ、ツェムリンスキーのところに行くように言いました。(そのころはツェムリンスキーとシェーンベルクは仲が良かったのです。)
それくらいツェムリンスキーはオーケストラの楽器について熟知している、楽器法の名人だったということです。
 また、歌手に関しては、日本人の歌手たちは、これまで私が行ってきた企画の中で出逢った素晴らしい歌手たちを揃えています。
さあ私達は仕事をする時が来たようですね。 10月の上演(10月18日火曜、サントリーホール 第442回定期演奏会、コンサート形式による上演、日本語字幕付)でまたお会いしましょう。
[2006年5月31日 21:00]

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