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昨日17日、常任指揮者シルヴァン・カンブルランによるマーラー《交響曲第4番》などのプログラムが、サントリーホールで行われました。この演奏会にご来場いただいた、音楽評論家の澤谷夏樹さんに、独自の視点で読み解いたレポートをご寄稿いただきました(写真撮影=堀田力丸)
 
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シャープとフラットがおりなす受難の物語 (澤谷夏樹/音楽評論)
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 少しひねくれた造りだが、当夜の演奏会は紛うかたなき「受難曲」だった。17日、サントリーホールで聴いたのはシェーンベルク《弦楽のためのワルツ》、リスト《ピアノ協奏曲第1番》、マーラー《交響曲第4番》。このプログラムが「受難曲」に聴こえるのには わけがある。ひとまず当夜の首尾から確認しておこう。
 《弦楽のためのワルツ》は19世紀末に作曲されたシェーンベルクの若書き。10曲のワルツからなる。弦楽合奏 というメディアは濃淡や歯切れが身上。それを踏まえたカンブルランの手さばきは「ギアチェンジ」優先だ。基本拍子の3拍子と、その3拍子2つを1つの大きな3拍子ととるヘミオラとが交錯し、リズム遊びの興趣が前面にでる。
 デミジェンコを独奏に迎えたリストの《ピアノ協奏曲》も「濃淡・歯切れ」路線。派手な色合いよりも豊かな階調を目指すピアノの音はあくまでもモノクロだが、語り口が多様なので雄弁だ。ペダルを踏み込む部分でも音が団子にならないのは、子音が立っていて声部を区別しやすいから。旋律の綾がはっきりと耳に届く。
 マーラーの《第4交響曲》でもカンブルランは「濃淡・歯切れ」に足場を据えた。演目を追うごとに管弦楽編成は大きくなり、音色のパレットも増える。そこで絵の具まみれにしないところがこの日の演奏の勘所。素っ頓狂な楽想を、細やかにふざけ合う風情にする。それを支える下ごしらえの声部を、滑舌や句読点の打ち方で整える。こうしてイロニーというよりもエスプリに縁取られたマーラーを引き出していく。
_C000075(4).jpg なぜこのプログラムが「受難曲」なのか。カンブルランは当夜、♭系の調と♯系の調とのコントラストを、現実世界と天上世界との対比に結びつけた。整理すると《ワルツ》、《ピアノ協奏曲》第1・3・4楽章、《第4交響曲》第2楽章が♭系、《ピアノ協奏曲》第2楽章と《第4交響曲》第1・3・4楽章が♯系だ。
 ♭系の《第4交響曲》第2楽章は、特別な調弦の独奏ヴァイオリンが奇妙に響く「死の舞踏」。舞曲レントラー風で、これが洗練されるとワルツになる。つまり同じ♭系の《ワルツ》は、洗練された「死の舞踏」だったというわけ。《ピアノ協奏曲》の有名な主題も当夜は死の衣をまとう。一方、《ピアノ協奏曲》第2楽章と、天上の世界を歌う《第4交響曲》第4楽章とはどちらも「弱音器付き」で曲が始まる。彼岸の表現を♯系が担う。
 こうしてプログラム全体が、♭対♯を軸に「現世での死」と「天上での生活」とを描き出す。復活祭を間近に控えた受難週の演奏会に「メメント・モリ」とくれば、それは「受難曲」というほかないだろう。
 このプログラムの随所を引き締めるのが、指揮者の呼び寄せたゲスト・コンサートマスター、オスターターク。「復活祭日」なる名前は出来過ぎだが、姓の含意も演奏の腕も、当夜のコンサートには欠かせないものだった。カンブルランのエスプリがここに極まっている。
 
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明日19日(土)14時から、同プログラムの東京芸術劇場(池袋)公演を開催します。当日券は13時から販売いたします。学生整理券も13時から配布します。皆様のご来場、お待ちしております。