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第477回定期演奏会

2008年12月15日(月) 19:00開演

会場:サントリーホール

指揮: 広上 淳一
ヴァイオリン: ルノー・カプソン
チェロ: ゴーティエ・カプソン

◆ ブラームス/ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲
◆ ブラームス(シェーンベルク編曲)/ピアノ四重奏曲第1番(管弦楽版)

広上淳一(Jun-ichi Hirokami)

“子どもは親の背中を見て育つ”というが、コンサートの聴衆も指揮者の背中から感動をもらうことが多い。
 ところで、広上が指揮するコンサートに行って、演奏が終わった瞬間、舞台の袖からそっと舞台上の彼の姿を見守っているひとりの少女に気づいた。その光景は、1933年に制作され日本でも人気を博した音楽映画「オーケストラの少女」のワンシーンで、大指揮者ストコフスキーを楽屋口から憧れを持って見つめる少女役ディアナ・ダービンの場面をほうふつとさせた。
 実は、演奏終了後、オーケストラ楽員が舞台から引き揚げるとき、楽屋の入り口付近で、少女が広上に抱きつく光景を見て、彼女が広上淳一の娘さんであることを知った。
 自分が舞台上で紡いでいく音楽の瞬間、瞬間を、真横からじっと見聴きしている身近な存在がいる。そんな聴衆も含めて、広上は1回1回のコンサートに精魂を傾け、また独自の解釈で広上流のドラマを生み出して聴衆に訴えるのだろうか。 
 東京生まれ、東京音大指揮科で汐澤安彦に学ぶ。1983年、卒業後すぐに名古屋フィルのアシスタント・コンダクターに就任し、外山雄三の下で研鑽(けんさん)を積んだ。同フィル・アシスタント・コンダクターになる際、最終選考には2人残り、もう1人が佐渡裕だった。      
 84年、26歳の時、第1回キリル・コンドラシン国際青年指揮者コンクールに優勝。審査員の1人、アシュケナージから高く評価され、85年に彼が独奏ピアニストとしてN響と協演した際に広上を指揮者に指名した。この成功をきっかけに本格的な指揮活動をはじめ、イスラエル・フィル、ロンドン響、ロイヤル・フィル、ロイヤル・コンセルトヘボウ管、バイエルン放送響、フランス国立管、モントリオール響などに客演している。
 91-2000年に日本フィル正指揮者。91-95年、ノールショピング響(スウェーデン)の、98-2000年、リンブルク響(オランダ)のそれぞれ首席指揮者。97-2001年、 ロイヤル・リヴァプール・フィル首席客演指揮者。2006/07シーズンからは米国のコロンバス響音楽監督。
 08年4月から京都市響常任指揮者に就任している。              (Y.K.)

ルノー・カプソン[ヴァイオリン](Renaud Capucon)

 「古池や蛙(かわず)飛びこむ水の音」という、俳句史を代表する名句がある。
 芭蕉のこの一句の情景を、テレビ画像で具象化するとしたらどうなるだろう。
 まず森閑としたたたずまいの中にある苔(こけ)むした池の眺望を広角レンズでワイドに捉え、やがてズームレンズで池の端に寄ると、蛙が現れてアップになる。いよいよ水に飛び込むかというところでワイド画面にもどり、静まりかえった池の遠景にかすかな水音が鳴る…… こんなテレビ画像なら、芭蕉の枯れた風情を伝える映像の一句になるのだろうか。
 ブラームスの音楽は、哀愁とか枯淡、人生の秋など、どこか俳句の味わいと近い情趣を聴き手に与える部分がある。
 「2000年の新しい才能」と、称賛されているカプソンは、実はこんな風情もまじえながら、曲調に合わせて瞬時に心の映像をテレビ画面のように切り替えて聴き手の驚きを誘うのだ。メロディの微妙な変化を鋭敏にとらえ、一つ一つの音符の動きそのものにニュアンスを添えていく。楽句の短い音の流れにも千変万化する色合いを装わせ、望遠や広角、接写といった多様なレンズを巧みに駆使し、刻々と変化してゆく生物や風景を、丸ごと生き生きと描写しようとするカメラマンのマルチ目線で音楽をつむぐ、とでも言えようか。そこに彼の人気の秘密のひとつがある。
 とはいえ、技巧をひけらかすだけのテクニシャンとは違う。音楽の流れの中でめくるめく曲想が目まぐるしくうつろう時、聴衆は、演奏家が瞬間に放つ個性的なひらめきの一閃(いっせん)、一閃に期待する。今回のブラームスの作品を仲立ちとしたカプソン兄弟の競演は、聴衆にいつもとはかなり違う作品の息づかいと色合いを体験させてくれることだろう。そんな新鮮さが、彼らの大きな魅力だ。
 1976年生まれ。パリ高等音楽院でジェラール・プーレ、ヴェダ・レイノルズに師事した後、トーマス・ブランディス、アイザック・スターンの薫陶を受ける。「2000年の新しい才能」と呼ばれ、デュトワ、ハーディング、ハイティンクらの指揮のもと、ベルリン・フィル、パリ管、ボストン響などと次々に共演している。
 2005年、フランス・カンヌ音楽賞ソリスト・オブ・ザ・イヤーを受賞。          (Y.K.)
 

ゴーティエ・カプソン[チェロ](Gautier Capucon)

 つい福原愛の卓球を連想してしまうような、シャープな反射神経が発揮されるスポーツを観戦するのに似たスリルを感じさせながら、ゴーティエは変幻自在にチェロをうならせる。
 「現代感覚」という言葉の意味を、「未知のフレッシュなイマジネーション」とすれば、ゴーティエほど“現代=いまを感じさせる”演奏家もそういないだろう。
 最速・プレストのパッセージでさえ、ターボエンジンでさらに加速するような超絶技巧で弾きこなす。ところが他方、しなやかで叙情的な遅めの曲想になると、運弓はうっとりするほど甘美に鳴き、チェロを愛おしく抱いて奏でる彼の姿が、恋愛映画のワンシーンさながらに目も引きつける。
 兄ルノー同様、瞬間的に表現の方向性を読み取り、ホールという聴衆をまじえた「場」の高揚と熱気を即座に感知し、即興的に聴き手を鮮かな音楽ドラマの流れに誘い込む。
 ニュアンスの多様さにこだわりをみせるルノーに対して、ゴーティエはシャープなノリの良さが身上だ。そんな最良の共演者ルノーとのダブル・コンチェルトは、2人が織りなす音楽を“見る”スリルにも恵まれそうだ。
 1981年生まれ。パリ音楽院でアニー=コシェ・ザキーヌとフィリップ・ミュラーに師事する。
 99年、アンドレ・ナヴァラ・コンクールに優勝後、ウィーンでハインリッヒ・シフのマスタークラスに参加した。
 97、98年ハイティンク指揮ECユース・オーケストラに参加。またグスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラにもケント・ナガノ、ブーレーズ、ガッティ、小澤征爾、アバドらの指揮のもと、オーケストラ団員として参加した。
 その後、ソリストとして、P.ヤルヴィ指揮ミュンヘン・フィル、ビシュコフ指揮WDRケルン放送響、ミョンフン指揮ローマ・サンタ・チェチーリア管、フェドセーエフ指揮モスクワ放送響、エッシェンバッハ指揮パリ管といった錚々そうそうたる指揮者、オーケストラと共演。室内楽にも積極的に取り組んでおり、ヴェングーロフ、バシュメット、アルゲリッチ、バレンボイムらと共演している。       (Y.K.)
      

ブラームス ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 イ短調 作品102

作 曲:1887年
初 演:1887年10月18日、ケルン

 ヴァイオリンとチェロという2つの楽器をソロ(独奏)楽器とするこの協奏曲は、「ドッペル・コンチェルト(=二重協奏曲)」の名でも親しまれている作品です。
 複数のソロ楽器をもつ協奏曲は、バッハの2台、3台、4台のチェンバロのための協奏曲やモーツァルトのフルートとハープのための協奏曲などの有名な先例があるほか、モーツァルトの模範ともなったマンハイム楽派の作曲家たちも多く手がけています。また、バッハの〈ブランデンブルク協奏曲〉の中にもみられるバロック時代の「合奏協奏曲」も、独奏グループがオーケストラと対比される点で元祖の一つといえるかもしれません。
 しかし、19世紀以降、演奏家個人の才能に注目が集まるにつれて、一つのソロ楽器による協奏曲、すなわちソロ・コンチェルトが主流をなしていきます。ヨハネス・ブラームス(1833-97)の協奏曲中、ヴァイオリン協奏曲や2曲のピアノ協奏曲はいずれもソロ・コンチェルトですが、この「ドッペル・コンチェルト」だけは例外です。このような形式を選んだのは一種の古典回帰ともいえますが、曲の発想としては、むしろソロ・コンチェルトの延長線上にあるといえるでしょう。
 作曲のきっかけとなったのは、親友でヴァイオリン協奏曲の献呈者でもあるヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムと、ヨアヒムの四重奏団のチェリストで〈チェロ・ソナタ第2番〉の献呈者、ロベルト・ハウスマンという2名の演奏家たちの存在だったようです。2つの独奏パートは両者の助言を得ながら書き進められ、ついにヴァイオリンとチェロという2つの独奏楽器がともに主役をつとめながら共同でオーケストラと勝負するという、スリリングで雄大なこの協奏曲が誕生しました。
 なお、作曲の背景には、ブラームスが、当時ヨアヒムの離婚をめぐって陰りがみえていた彼との友情を回復する目的もあったといわれています。初演はもちろんヨアヒムとハウスマンをソリストとして、ブラームスの指揮で行われました。
 ヴァイオリン協奏曲などで磨き上げられた作曲の手法は、この作品でいちだんと大胆さを増しています。たとえば第1楽章では、冒頭でオーケストラがトゥッティ(総奏)で力強く第1主題を提示したのも束の間、その主題を受け継ぐように独奏チェロが17小節のカデンツァを奏します。それだけでも意表をつきますが、このあとオーケストラが第2主題を予告する短い主題を提示すると、またそれを受け継ぐように独奏ヴァイオリンのカデンツァとなり、途中から独奏チェロも加わって高揚感を増していきます。ここまでで、すでに2つの独奏楽器の存在感は十分です。このあとは協奏曲の定石に従い、あらためてオーケストラが主題をひととおり提示したあと、独奏チェロ、ヴァイオリンが同じ主題を奏しますが、このときの主題はオーケストラが提示したものをかなり変形させたものとなっており、こんなところにもロマン主義的な自由さ、歌心といったものが感じられます。2つの独奏楽器は完全に対等に扱われており、両者は競い合いながらも同じメロディーやさまざまな音型を巧みに受け渡しながら、オーケストラと対峙していきます。

第1楽章 アレグロ、イ短調。前述のように、曲が始まって間もなく2つの独奏楽器がカデンツァを奏します。
第2楽章 アンダンテ、ニ長調。ホルンと木管楽器の呼びかけに答えるように、弦を伴奏に2つの独奏楽器がのどかな旋律を奏で始めます。
第3楽章 ヴィヴァーチェ・ノン・トロッポ、イ短調。情熱と躍動感にあふれるフィナーレです。
 

ブラームス(シェーンベルク編曲) ピアノ四重奏曲第1番(管弦楽版) 

作 曲:原曲 1861年
    シェーンベルク編曲版 1937年
初 演:原曲 1861年11月16日、ハンブルク
     シェーンベルク編曲版 1938年5月7日、ロサンゼルス

 〈ピアノ四重奏曲第1番〉は、ブラームスが1855年頃から構想し、61年にクララ・シューマンらによって初演された作品です。本日は、この曲を新ウィーン楽派のアルノルト・シェーンベルク(1874-1951)がオーケストラ用に編曲した作品が演奏されます。
 編曲は、シェーンベルクがアメリカに移住していた1937年に行われました。すでに十二音技法による作品も多く書き上げていた彼が、初演から70年以上もたってこの編曲を思い立ったのは、いったいなぜだったのでしょうか。シェーンベルク自身の言葉を借りれば、第1にこの作品が好きだから、第2にこの作品がめったに演奏されないから、そして第3に、この作品がいつもひどく演奏されるから、つまり、ピアニストが優れているほど音量豊かに弾き、その結果弦楽器からは何も聞こえなくなってしまうので、すべてを聴いてみたいと思ったから、というのがその理由だったようです。
 ブラームスを「進歩主義者」と(たた)えたシェーンベルクがとくに注目していたのは、基本となる細小の音楽的要素(モチーフ)をとことんまで変化・発展させて音楽を作り上げていく、ブラームスのみごとな造型法でした。したがってこの編曲でも、原曲が本来もつ音の構造を際立たせ、聞こえやすくすることに主眼が置かれたと考えられます。たとえば、ピアノ・パートの和音を複数の楽器に振り分けたり、弦と管といったように楽器を対比させて立体的な響きをつくることにより、音の横の流れがいっそう明瞭となり、ブラームスが駆使した対位法的な書法がくっきりと姿をあらわします。
 それと同時に、オーケストレーションに関しては、ブラームスのスタイルを保ったと本人が言いつつも、ブラームス的ではない3管編成の大規模な編成をとり、第3・第4楽章では種々の打楽器が活躍します。金管の使い方などは抑制されているとはいえ、さまざまな楽器の音色が交代しながら重量感ある響きを生み出している様は圧巻といえます。

第1楽章 アレグロ ト短調
 曲はピアノの代わりにクラリネットの三重奏で始まり、それに弦が応答します。
第2楽章 インテルメッツォ ハ短調
 最初の主題はオーボエとイングリッシュホルンで始まり、弦に受け継がれます。トリオ(中間部)をはさんで最初の主題がもどってきます。
第3楽章 アンダンテ・コン・モート~アニマート 変ホ長調
 途中の「アニマート(生き生きと)」からは多くの打楽器が加わって力強くリズムを刻み、金管も効果を発揮しています。
第4楽章 ロンド・ア・ラ・ツィンガレーゼ ト短調
 ジプシー風ロンド。ハンガリー・ジプシー風の楽想による熱烈なフィナーレです。
 

(とおやま なおみ・音楽学)

 

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